三条の湯(さんじょうのゆ)へ

山と、落語と、温泉と

昔から、北村薫さんの文章が好きです。
端正で心地よい、美しい文章を書く方だと思います。
彼の代表作が、「円紫さんと私」シリーズ。
「春桜亭円紫(しゅんおうていえんし)」という落語家が探偵役の異色の推理小説です。

このシリーズ、全編を通じて落語ネタがぎっしりと詰まっていて、これを読んで以来、ずっと落語には興味があったんです。近くに用事がある時は浅草の演芸ホールに足を運んだりしたこともありましたが、山梨に来てからはとんと足が遠のいていました。

そこへ舞い込んだのが、このチラシ。
 第一回 三条の湯 湯けむり寄席
夏の夜、山に登って、落語を聞いて、しかも温泉つき。なんとすてきな組合せ。
そんなわけで、8月に入ってすぐの日曜日、登山靴の紐を結んで山の寄席へ行ってきました。

ちょっと、ズルをしました

小屋までは広い林道を歩いていくためあまり危ない箇所はないですが、やはり最近は熊の目撃情報も増えているし、ちょっと用心しながら行こうかなと思ったんです。前日、小屋の方に歩く人が多そうな時間帯を聞いて、私もその時刻に合わせて歩き出すことにしました。

ただそのわりには人に会わず、ちょっと心細いなと思いはじめた頃、後ろから近づいてくるエンジン音。
ちょうど後から追いついてきた小屋関係者の方の車に、ひょいと乗せてもらえることになりました。
無舗装の道はちょっと揺れますが、これは極楽。文明ってすばらしい(堕落)。

同じ車に乗っていた小屋の常連さんたちに、火薬の取扱いだの山梨の遺跡採掘だの、興味深いお話を色々伺っていたら、あっという間に小屋に着きました。これから落語を聞きに行くところですが、お客さんたちも話がうまくて面白い。みんな語れるネタがあって、いいなあ。

寄席って、「作る」んだ

小屋に着いてみると、スタッフの皆さんが作業の真っ最中。
いつもは布団が並べてある大部屋が、着々と寄席へ作り変えられているところでした。


頑丈な高座は、廃材を組み立てた手作り。
手描きの張り子の飾り(かわいい!)や、墨汁や半紙が部屋に散らばって、なんだろう、この学校の文化祭前みたいな懐かしい雰囲気。

今回が第一回ということで、何もかも手作りで試行錯誤のあとが窺えつつ、スタッフの皆さんそれぞれの特技や才能があふれた空間が出来上がっていました。

いよいよ開演!

部屋の仕上がりを早く見たくて、しばらく傍で作業を眺めたり、箒で部屋に入ってくる虫を追いかけてみたりしていましたが、やはり作業の邪魔になるので、一旦退散。

温泉に入って、涼みながら常連さんたちの話の続き(まだまだ面白いネタが出てくる)を聞いていたら、気が付けば寄席の開演時間になりました。

今回、出演されるのは社会人落語会のメンバーの方々。
大阪で毎年開かれる「社会人落語日本一決定戦」で上位を競った面々とのことで、どの方も玄人はだしの腕前でした。

何でも動画で見てしまうこの頃ですが、落語って、ひとりの人が話しているだけなのに色んな登場人物が目の前で動き出すのが面白く、かつすごいですね。

中でも私は、大阪からいらした猪名川亭風鈴(いながわていふうりん)さんの「応挙の幽霊」が、チャーミングでとても好きでした。上方落語と江戸落語の違いなどのお話もあり、興味深かったです。

高座を下りた後を見られるのは、貴重

公演後は、懇親会。
先ほどまで粋に着物を着こなしていた出演者のみなさんが、ゆるーいイラストがついたTシャツとかに着替えて現れるのが、なかなか新鮮でした。

出演者のうち、山梨在住という酔亭化枝(よってけし)さんに「どんなきっかけで落語を始めたんですか?」と伺ったところ「口下手なのにPTA会長になっちゃったから、話せるようになりたくて」とのこと。

その動機で落語はじめて、全国大会で3位になるって、すごくないですか…?

山には、いろんな人がいる

今回の山での寄席、そもそもはとある八ヶ岳の山小屋(標高2,000m超)で毎年開かれていた催しで、当時のポスターが三条の湯の関係者の方の目に留まったのがご縁で、今回の開催となったそうです。

そういったわけで出演者の方々、登山スキルをお持ちの方ばかり。
翌朝は慣れた様子で衣装や道具を大きな背負子に担ぎこんで下山していかれました。

私は少し後から下山したので、あの荷物の量なら途中で追い越せるのではと思いきや、まったく追いつくことができませんでした。話すの、体力相当必要ですもんね…ふだんの鍛え方が違うんだなと実感…。

出演者の皆さん、スタッフの皆さん、小屋でご一緒した皆さん、暑い下界を離れて束の間の夏の一夜を、ありがとうございました。

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